
冬の京都 天龍寺の雪景色(薄日の射してきた曹源池庭園)
|Posted:2013/02/21 07:00|Category : 天龍寺|
2013年1月28日に、京都嵐山にある天龍寺に、雪景色を撮影に行きました。
雪の降りしきる静かな百花苑で、椿や蝋梅を撮影してからまた曹源池庭園に戻ると薄日が射してきました。ほんの小一時間前に通った景色とはまた様変わりしていました。
時々来ているこの場所も季節や天候が変わるとがらっと雰囲気が変わります。何度来ても飽きることがないですね。
天龍寺の公式HPによると、
「造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、その利益を造営費用に充てることを計画した。これが「天龍寺船」の始まり。
...
文安の火災と応仁の乱による被害は大きく、天正13年(1585)に豊臣秀吉の寄進を受けるまで復興できなかった。その後秀吉の朱印を受けて順調に復興するが、文化年間に被災、
この再建途中の元治元年、蛤御門の変に際して長州軍の陣営となり、兵火のために再び伽藍は焼失した。」
と書かれています。
歴史を感じます。
陽が射してくると、木に積もっていた雪が溶け出してきました





雪の降りしきる静かな百花苑で、椿や蝋梅を撮影してからまた曹源池庭園に戻ると薄日が射してきました。ほんの小一時間前に通った景色とはまた様変わりしていました。
時々来ているこの場所も季節や天候が変わるとがらっと雰囲気が変わります。何度来ても飽きることがないですね。
天龍寺の公式HPによると、
「造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、その利益を造営費用に充てることを計画した。これが「天龍寺船」の始まり。
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文安の火災と応仁の乱による被害は大きく、天正13年(1585)に豊臣秀吉の寄進を受けるまで復興できなかった。その後秀吉の朱印を受けて順調に復興するが、文化年間に被災、
この再建途中の元治元年、蛤御門の変に際して長州軍の陣営となり、兵火のために再び伽藍は焼失した。」
と書かれています。
歴史を感じます。
陽が射してくると、木に積もっていた雪が溶け出してきました





