円山公園の帰りがけに高瀬川夜桜見学
|Posted:2017/05/31 05:25|Category : 洛中|
4月8日に、数年ぶりに、円山公園から高台寺の桜見学に行きました。雨模様の日でしたが、人出が少ないことを期待して行ってみました。でも、ちょうど土曜日だったせいもあるのか、大勢の観光客がいました。
高台寺から、円山公園に戻って、暗闇の中にライトアップされたしだれ桜を見学したあとで、八坂神社を通り抜けて、四条河原町に出ました。阪急四条河原町駅の地上東出口は「高瀬川」に面しています。繁華街の真ん中にあるので、普段から大勢の人が行き交う場所です。
高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河です。豊臣秀吉が天下統一の後、その権勢を誇るものとして「天下泰平」祈願の寺・方向寺(大仏殿)を建立した時に、その資材(石材)を、京と大坂を結ぶ淀川水運の発着点の伏見港から京へ搬入するために開通させたとされていて、今もその名残が、四条通り近くに残されている場所です。
雨模様でしたが、川の近くに飲食店が多いためか、夜桜見学の人も多く歩いていました。
高台寺から、円山公園に戻って、暗闇の中にライトアップされたしだれ桜を見学したあとで、八坂神社を通り抜けて、四条河原町に出ました。阪急四条河原町駅の地上東出口は「高瀬川」に面しています。繁華街の真ん中にあるので、普段から大勢の人が行き交う場所です。
高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河です。豊臣秀吉が天下統一の後、その権勢を誇るものとして「天下泰平」祈願の寺・方向寺(大仏殿)を建立した時に、その資材(石材)を、京と大坂を結ぶ淀川水運の発着点の伏見港から京へ搬入するために開通させたとされていて、今もその名残が、四条通り近くに残されている場所です。
雨模様でしたが、川の近くに飲食店が多いためか、夜桜見学の人も多く歩いていました。