京都の桜 洛西善峯寺 奥の院薬師堂あたり
|Posted:2018/06/01 05:10|Category : 洛西|
今日から6月ですが、もう少し桜景色を続けます。
善峯寺のHPに、「善峯寺は平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれました。鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が住職を勤め、また西山宮道覚入道親王を始め、青蓮院門跡より多くの親王が籠居され、他にも多数の僧の入山により、室町時代には僧坊52に及びますが、応仁の乱により大半の坊が焼失しました。その後、江戸時代には徳川5代将軍綱吉公の生母である桂昌院を大檀那として、現存の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂が復興されて、幾多の貴重な什物が寄進されました。」と書かれています。
善峯寺境内のあじさい苑から続くなだらかな順路を登っていくと、奥の院薬師堂に着きます。展望が開けて、そこからは、京都南部の市街を見晴らすことができます。(平安時代にこの地に寺を開いたときには目の前は山林、畑だけだったと思います)このあたりの桜風景も青空の中に映えていました。
そんな風景を眺めていると、道路ももちろんない中で、市内から離れたこの地に、境内3万坪(よく比較対象となる東京ドームが約1万5千坪なので、ドーム2個分の大きさです)を整備してお寺を造営した歴史を調べたくなります。
善峯寺の位置する大原野は竹取物語の舞台とも伝わり、奈良春日大社から勧請された大原野神社、西行ゆかりの花の寺勝持寺、今昔物語にも登場する山寺金蔵寺、在原業平伝説のある十輪寺、など沢山の見どころがあり、桜、紅葉の名所でもあります。ただ、山の山腹に点在しているために、一日ですべてを巡ろうとすると、車が必要です。
善峯寺のHPに、「善峯寺は平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれました。鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が住職を勤め、また西山宮道覚入道親王を始め、青蓮院門跡より多くの親王が籠居され、他にも多数の僧の入山により、室町時代には僧坊52に及びますが、応仁の乱により大半の坊が焼失しました。その後、江戸時代には徳川5代将軍綱吉公の生母である桂昌院を大檀那として、現存の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂が復興されて、幾多の貴重な什物が寄進されました。」と書かれています。
善峯寺境内のあじさい苑から続くなだらかな順路を登っていくと、奥の院薬師堂に着きます。展望が開けて、そこからは、京都南部の市街を見晴らすことができます。(平安時代にこの地に寺を開いたときには目の前は山林、畑だけだったと思います)このあたりの桜風景も青空の中に映えていました。
そんな風景を眺めていると、道路ももちろんない中で、市内から離れたこの地に、境内3万坪(よく比較対象となる東京ドームが約1万5千坪なので、ドーム2個分の大きさです)を整備してお寺を造営した歴史を調べたくなります。
善峯寺の位置する大原野は竹取物語の舞台とも伝わり、奈良春日大社から勧請された大原野神社、西行ゆかりの花の寺勝持寺、今昔物語にも登場する山寺金蔵寺、在原業平伝説のある十輪寺、など沢山の見どころがあり、桜、紅葉の名所でもあります。ただ、山の山腹に点在しているために、一日ですべてを巡ろうとすると、車が必要です。
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