
あじさいが雨に濡れる嵯峨野嵐山天龍寺
|Posted:2018/08/01 05:59|Category : 天龍寺|
6月中旬に、京都嵐山のあじさいの咲く天龍寺に、行ってみました。今年は大方丈や曹源池庭園に入らないときも含めると、ほぼ毎月来ています。(もう8月に入りましたが、まだ6月の記事です)
天龍寺HPによると、「檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。」と書かれています。
先日のNHK大河ドラマ西郷どんで、天龍寺は禁門の変の時に長州藩が陣を構えて、市内と同様に大火に見舞われたと、説明がありました。HPを見てみると、応仁の乱など8回もの大きな火災を受けているそうです。市内からは遠く離れたこの地でも、歴史の災難が起こっていたのですね。
夢窓疎石によるこの曹源池庭園は、国の史跡・特別名勝第一号に指定されていて、大方丈側から見る嵐山を借景とした風景の美しさに四季のいつでも感動します。
この日、多宝殿から北門方向の百花園で、雨に打たれたあじさいが満開でした。










天龍寺HPによると、「檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。」と書かれています。
先日のNHK大河ドラマ西郷どんで、天龍寺は禁門の変の時に長州藩が陣を構えて、市内と同様に大火に見舞われたと、説明がありました。HPを見てみると、応仁の乱など8回もの大きな火災を受けているそうです。市内からは遠く離れたこの地でも、歴史の災難が起こっていたのですね。
夢窓疎石によるこの曹源池庭園は、国の史跡・特別名勝第一号に指定されていて、大方丈側から見る嵐山を借景とした風景の美しさに四季のいつでも感動します。
この日、多宝殿から北門方向の百花園で、雨に打たれたあじさいが満開でした。










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